稚内に行ってきました②
「稚内に行ってきました」という記事ですが、まだ稚内に到着できていません。函館です。この記事の中で稚内に到着すると思います(稚内の話が書けるとは言ってない)。
さて、函館2日目。まずは、道南いさりび鉄道に乗って七重浜に向かいました。
目的は2つ。
1.函館に入出港する船が、七重浜からどのように見えるか確認する。
2.洞爺丸台風の慰霊碑にお参りする。 です。
前者は書きかけの小説の描写の照合、後者は小説で題材として取り扱うので一応、報告を、という形でした。
入港する津軽海峡フェリー(七重浜より)
…はい!もうバッチリ!この場合は、どの会社のフェリーか普通に肉眼で判別できるくらいハッキリ見えましたね!津軽丸Ⅱ型だったら確実にどの船か分かりますね!
慰霊碑にもちゃんとお参りしてきました。
が、ここで問題が1つ。
「想定していた慰霊碑と違う…?」
実は、函館付近には洞爺丸事故関係の慰霊碑が2つあり、1つは七重浜に、もう1つは函館山に所在しています。…知らんかった…そして、私が目指していた慰霊碑は函館山の方でした…。
行くしかないね。登るしかないね。函館山…。
というわけで、摩周丸に開館から詰める予定だったのを急遽変更し、函館山へ。
函館山(の途中)からは海が見える
結構この坂、勾配がキツいと思うんですが、両側におうちが建っていて、年取ったら平地に引っ越したくなりそうだなあなんて思いました。
こちらの慰霊碑は、函館山の登山道に入るすぐ手前にあります。
函館山の洞爺丸事故慰霊碑
この場所は元々、戦時中に青函連絡船が集中攻撃された際(主に1945.07.13~14)に亡くなった船員たちの慰霊の場でしたが(その慰霊碑がある)、洞爺丸事故の後にこちらにも関連する碑が建てられました。碑は、事故によって失われた3隻の連絡船:洞爺丸、北見丸、第十一青函丸の船体の一部を埋め込んで作られています。具体的には、洞爺丸・第十一青函丸は船名の部分、北見丸は船底の一部、です。
こちらにも、しっかりとお参りしてきました。
ところで、登山道の入り口をウロウロしていたところ、函館の地元の方たち(おそらくこれから函館山を登山する予定だった)に声をかけられ、色々尋ねられました。たぶん、全然登山する格好でなかった(足はガチ登山靴だったが)ので、心配して下さったのだと思います。同人誌の取材のために慰霊碑に来たのだと申したところ、色々と青函連絡船の思い出話を!話してくださり!非常に参考に、そして勉強になりました。
「青函連絡船は独特の雰囲気がねえーあるよねえー」と仰っていたおばさま、貴重なご意見をありがとうございます。改めて御礼申し上げます。
飴も貰ってしまった…美味しかったですね…。
この時に、「市の中央図書館に行ったらどう?」という非常にためになる助言を頂いたので、札幌行きの特急を3本遅らせて、函館市立中央図書館に行きました。
さすが函館!青函連絡船の資料が山のように!古書市場に出てない書籍も!
例えば洞爺丸事故の際の通信記録(関東だと大宮の鉄道博物館にあります)、津軽海峡周辺の船舶関連の慰霊碑のまとめ(たぶん本当に郷土資料なのでここにしかない)など。全然時間がなかったので、この2つだけ複写して出てしまいましたが、北海道新聞の記事なんかも見るべきだった(お召し船のあたりを)。次はリストを作って持って行きます。
摩周丸Ⅱ
そしてようやく摩周丸に…開館から入る予定だったのに、残り1時間しか残ってない…。仕方ないので、展示物をスルーし、ダイアグラムのデータが入ってるコンピュータのコーナーでひたすら時刻写しをしていました…もうちょっと時間が欲しかった…。
次は効率的に複写できる方法を考えます…。
頭を使いまくったのでめちゃくちゃ疲れました…。
そんなこんなで、特急北斗に乗って札幌へ。
数日後に、JR北海道の車内販売が全て無くなるという話だったので、晩酌セットを…買ってしまいました…。美味しかったです…。
晩酌セット
今後は全て駅売りになるのでしょうか?おつまみ美味しかったから買えるといいな…
まだ稚内に着いていませんが、だいぶ長くなってしまったので、この記事はここで終わりです。その③を近いうちに書きます。