1039
今更書くまでのことでもないかもしれませんが、私はED75形電気機関車が好きです。車両そのものが好きですし、それを私自身で擬人化したED75(通称75)も好きです。元はといえば、ED79形(の7割程度)がED75形700番台から改造されていることから興味を持ったのですが、今では現存する車両の中ではいっとう好きと言うくらいには好きですし、資料を集めて調べています(ちなみに現存しない車両も含めるとED79形が好きです)。
ED75形のことを調べていると、必ずぶち当たるナンバーがいくつかあります。それは、事故などで車生の半ばにして廃車になった車両であったり、お召し車両だったりするのですが、特にここでは1039号機を取り上げます。
1039号機は、ED75形1000番台のラストナンバーであり、ED75形全体のラストナンバーでもある車両で、そのことから鉄道雑誌に何回か掲載されていた車両でした。ナンバーで注目するならば、トップナンバー(各番台の1号機)、ゾロ目(777号機)と並んで人気が高かったと言えるでしょう。
東北本線全線電化(1968年)に合わせて1968~1976年に製造された高速貨物・20系客車牽引用の1000番台の最後の1両であり、国鉄分割時はJR東に継承されました。その後、JR東への貨物受委託業務が解消されたことで、JR貨物へ売却されます(売却直前は青森運転所所属)。当初は故障による長期休車を挟みながらも、2010年6月頃まで運用されていました。引退とも思われましたが、2011年春に台車検査を受け、3月2日に試運転実施、運用復帰。3月11日は常磐線に入っていました。
2011年3月11日。東日本大震災の発生した日です。
常磐線山下駅~浜吉田駅間で停車した1039号機は、津波の直撃を受けました。海岸から線路が、2.5 kmほど離れている地区です。牽引していた貨車は流されましたが、機関車は線路上に留まり、車内にいた機関士が助かりました。当該区間の復旧に際し、1039号機は現地で解体されますが、事前にナンバープレートがJR貨物によって取り外され、現在は大切に保管されているようです。
さて。1039号機を弊創作でどう取り扱うのか。
以前に洞爺丸に関する記事でも同じようなことを書きましたが、事故や災害を題材に取り上げるのは、大変難しいものです(少なくとも、私にとっては)。震災から8年が経過しましたが、未だに生々しい痕が残る地域は広く残っています(かなりオブラートに包んだ言い方)。私(当時高校生)は当日の列車運休を受けて学校に泊まった程度の経験ですが、大学の先輩などで被災された方もおります。当事者の中で区切りが付いているとは限りませんし、そもそも私の中でも区切りが全然付いていません。ある意味で、「戦後」がずっと続いているようなものかもしれないと思います。
鉄道擬人化の作品の中で、東日本大震災を取り扱ったものはいくつか存在します。それは、東北新幹線の全線復旧で話が(ひとまず)まとまっていたり、あるいは未だに復旧しない区間がある路線の話であったり(おそらく復旧した際にまた話を出すものと思われますが)して、それはその創作として素晴らしい話ではありますが、弊創作では既創作の系統は踏襲したくない、と思いました。
私の中で東日本大震災は終わっていないからです。
そして、おそらくED75の中でも終わっていないからです。そもそも、ED75は車両ですので、路線のように「全線復旧」という決着のようなものがあるわけではありません。全線復旧したところで、交流電化の区間しか走れません。また、運用区間が縮小しているため、これから復旧する区間を走行できるわけでもありません。人間であれば、全線乗車することも可能ですから、人間以上にダメージを抱え続ける存在なのではないでしょうか。
ですが、一方で、話としてはまとめなければいけません。なので、この春、8年ぶりにED75が常磐線運用に入った(亘理までですが)ところで終わらせると思います。話としては終わらせますが、すっきりしない終わり方になるかもしれません。
ひとまず、6月の即売会に向けてまとめる方向で頑張ります。