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洞爺丸を題材に創作することについて

【何とは言わないが予防線】

これはチラ裏のメモ書きであり、私個人の現時点での考えをまとめただけのものですよ!私自身も明日には考え変わってるかもしれませんよ!そこんとこよろしく!

あと、文字ばっかでめっちゃ長い!

イベントやら取材旅行やらを緩くまとめている当ブログにしては、いつになく真面目なタイトルですが、この作品を執筆しているこのタイミングでないと考えをまとめられないかな、と思って書きました。

【執筆している作品について】

当ブログにお立ち寄りくださっている皆様方は既にご存知だと思いますが、私は青森~函館を繋ぐ交通機関(具体的には鉄道車両・船)を中心に擬人化して、史実をなぞりながら小説や漫画を描いています。作品のシリーズ名は「海峡を越えて。」で、本編は青函トンネルが開通してからの鉄道車両たちの話です。本編とわざわざ書くからには外伝もあり、こちらは青函連絡船たちの話になります。

私が現在執筆しているのは外伝で、特に第二次世界大戦直後~1970年頃までの期間に的を絞っています…主人公は、「洞爺丸」という青函連絡船です。

結論から言ってしまいますが、洞爺丸は台風の中出航して沈没しました。大事故です。乗員乗客合わせて1000名以上の方が亡くなっています。同じ台風で他に4隻の連絡船が沈没し、こちらでも多くの方が亡くなっています。

【執筆着手までのためらい】

青函の交通史を取り扱う上で、「洞爺丸事故」は重大な転換点です。この事故を機に青函の連絡トンネル構想が具体化し、現在の青函トンネルの着工に至ったという経緯からも明らかです。青函の交通をかじって作品を作るならば、避けては通れないものです。

でも。それを分かっていながら、私はなかなか手を付けられませんでした。

それはなぜか。

答えは単純で、たくさん人が死んでいるからです。

事故から60年以上が経過していますが、この事故はまだ歴史になっていない、言い方は悪いですが「風化していない」と思いました。だって祖父母世代に「青函連絡船」って言うと「洞爺丸という船があってね…」って話が出てくるんだぜ。怖くて仕方ない。

物語として執筆するからには、記録をただそのまま書き連ねることはしたくありません。エンタメ性も入れたいです。でも、軽すぎてはいけない。こんな重い題材を、取り扱う自信はありませんでした。

だから、後回しにしました。逃げたんですね。怖いことは何も考えずに書く小説はただただ楽しかったです。頭の中でいつかは書かなければいけないとは思っていたけど。

【じゃあなんで書くことに決めたのよ?】

今年(2019年)の夏に貨客船擬人化アンソロジーを主宰することになりまして、私自身も寄稿するために、少しずつ青函連絡船の書籍を集めていました。また、昨年(2018年)に保存船(摩周丸Ⅱ・八甲田丸)を訪問して、資料をかき集めてきました。

資料を読むうちに、分かってきたのは、私は洞爺丸のこと、事故のこと、そして当時の時代背景を何も知らなかったという点です。ただ犠牲者数しか見てなかった。就航までの経緯や、お召し船になったことや、事故の詳細、全然分かってませんでした(今も分からないことだらけで勉強中ですが)。

「洞爺丸事故」について書くのではなく、事故も含めて、「洞爺丸の生きた時代」について書きたいと思うようになりました。だから、書き始めました。

【戦後という時代と死に戻り】

私は、洞爺丸が生きたのは「戦後」という時代だと考えています(”もはや戦後ではない”:1956年)。もちろん、第二次大戦の影響を受け続けているという意味では「戦後」は今に至るまで続いていると言えますが、まあ集中した「戦後」期間はこのあたりかな、という適当なくくりです(すみません)。

戦争の深い爪痕が色濃く残る時代ですが、洞爺丸自身は戦後生まれの新造船であり、戦中のことは詳しく知りません。戦時中からいる連絡船たちは語りたがりません。

そこで登場するのが「北見丸」を始めとする戦時中に沈んだ連絡船たちが死に戻った船たちです。彼らの記憶は戦中で一度断絶しています。傷が深いまま残っています。

彼らと洞爺丸を関わらせることで、「戦後」を表現できるのではないかと思いました。

【バランスを取ることの難しさ】

色々頭の中に事実関係を詰め込んでいるところとはいえ、背景の説明ばかり詰め込むわけにはいきません。だから、かなり差っ引いて書いています。現状(まだ1/3くらいしかできていないですが)、物語は足りないところがとても多いです。例えば、当時就航していた連絡船が全員登場するわけではない。ここはこれから頑張ればなんとかなるかもしれませんが、あんまり突っ込んで欲しくない痛いところです。

この小説は、これまでで一番苦労して書くものになりそうです。だが…このあとにはさらに空襲篇という山が…!どうなる…!

今度こそ、次は2月のイベントの報告になると思います。

インフルエンザの症状が全然落ち着いていないので、あんまり無理し過ぎないようにしたいです(でも論文あるから多分無理)。

温かく、見守って下されば幸いです。

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